ヒュッ
オピオンはそのまま、空に向かって放たれた一本の矢のように、屋根の上まで飛び上がった。
「フフフ・・・。」
エレンドラの冷たい視線を背中に感じながら、オピオンは悔しさと怒りを感じていた。
しかしそれは、エレンドラに対してではなく、無力な自分自身に対してだった。
「(ここまで来て失敗じゃ済まねーぞ・・・)」
オピオンは心の中でつぶやきながら、さらに速度を上げた。彼女の呼吸は荒く、心臓の鼓動が耳元で響いていたが、速度を緩めることは無かった。
こんな間抜けな自分でも、信じて託してくれた仲間の為にも。
ザリザリザリッ
トッ
「よし・・・・」
屋根の上を通り、下水道通用口のある路地裏に滑り降りる。
追手は撒いた、後はここを通ってギルドに「原典」を持ち帰れば────
「遅かったじゃないか?」
「キミ達の計画は筒抜けなんだよ、もちろん逃走経路もね?」
オピオンは屋根の上を突っ切り、最短ルートで駆け抜けた。しかし、魔術師はさらに先回りをしていたのだ。
目の前の光景にオピオンは一瞬言葉を失った。
オピオンは思考を巡らせる、考えられるとすれば一つだった。
「(転移魔法────・・・)」
座標指定した位置に瞬時で移動する魔法、オピオンはこの魔法を、逃走するにはうってつけだと思い、昔少しだけ調べたことがある。
結局よく分からず、途中で投げ出してしまったが。
情報が洩れているとしたらこの場所もマークされていたに違いない、さっきエレンドラが突然現れた時も、ルートを事前に知られていたのだ。
星のような光を纏い、魔術師はオピオンを見下ろす
絶えず数や大きさを変え瞬く光の群れは、まるで星空のようだった。
「諦めて「原典」をこちらに渡してくれないかな?大事な魔導書に、傷を付けたくはないんだ。」
ダッ!!
オピオンはその場からはじき出されるように駆け出した
「(いくらなんでも座標指定ナシで好きなトコへ移動できるわけねー・・・)」
とにかく移動してエレンドラを撒く、情報が漏れている以上、今までギルドが使っていたルートは使えないが
人払いの術式が効いているおかげで、この地区には衛兵たちの姿は無い、オピオンの脚力で駆け抜ければ、まず逃げ切れるはず────
バチバチィイイッッッ!!!
「・・・・・・ッ!?」
突然、視界が一変した。これまで見たことのないほど圧倒的な魔術が放たれる。
威力、精度、そして速度──すべてが彼女の予想をはるかに超えていた。
詠唱も、身振り手ぶりによる意思表示もなし。突如、閃光がオピオンの目の前、紙一重で炸裂する。
魔導書を傷つけずに足止めするためだ、それは、まるで天から星が降り注ぐかのような圧倒的な力を放っていた。
「私の特殊術式、『星降し』だ。」
エレンドラは、まるで子供が自分の宝物を見せるかのように話す。
「これは、変性魔法で歪めた星の光を集めて、魔術的記号としての星を生み出し、術者の位置に合わせて調整する。こうして観測上の星空を操り、星座の魔術を行使できるんだ。」
天空にある星座、この力を借りる魔術は多くあるが、特定の日付、場所でしか使えないという欠点を持っていた。
しかし彼女は魔法で小さな星を造り、術者から見た観測上の星空を操ることでこの欠点を克服していた。
「もう分かっただろう?呪文を唱える必要などない、この空間自体がすでに私の術式の中なんだ、キミにできることはもう何もない。」
エレンドラが冷徹に告げる。
ヒュッ
「さあ、いいから魔導書を────?」
「え────?」
一瞬の出来事だった、目の前まで追い詰めた盗賊が姿を消した。視界の端で影が舞う。
風のような素早さで、オピオンは一瞬で後ろに回り込む。敵を追い詰め油断しきっていたエレンドラは、完全に虚を突かれていた。
「・・・・!!!」
バチィイイッ!
魔術の閃光が空気を裂く音が鳴り響く。
「チッ・・・!!」
一瞬、動揺したエレンドラは慌てて魔術で対応した、しかし、眼前に迫るオピオンに放った魔術の閃光で、視界が塞がれてしまった。
「やれやれ・・・やぶれかぶれの特攻か・・・?」
周囲に目を向けると、オピオンはすでに視界から消えていた。
「居ない・・・・・・」
エレンドラが放った魔術は、死体が消し飛ぶような威力では無かった。
原典に傷をつけないよう、注意を払っていたエレンドラは、咄嗟にオピオンと自身の間に魔術を放ってしまった。
この状況で、まさか自分に対して距離を詰めてくるなどと、彼女には考えられない事だった、エレンドラは舌打ちをする。
「全く・・・これだから状況の読めないバカの相手は疲れる・・・。」
「・・・・・・」
エレンドラは、下水道の入り口に目をやった、追い詰められた人間ほど、その行動は単純なものになる。
「フン・・・、逃げたか・・・ネズミめ。」
「逃げ道がある限りネズミは戦うことはしない、逃げることだけを考える・・・。」
たとえ逃走経路が割れていたとしても、自分の魔術を目の前にして、オピオンは逃げずにはいられない、目の前の脅威から目を背けたくてたまらない。
エレンドラは、逃げ出した盗賊に対して不敵な笑みをこぼす。
エレンドラが耳に手を当て話すと、周囲の空気が不自然に振動し、声がくぐもった
変性魔法で空気の振動を操り、声を遠くに飛ばして仲間と連絡をとる。
「ギディッカ、メレジ、ああ、そっちに行ったぞ。」
すべて計画通り、追い詰められた盗賊の行動など手に取るようだった、事前に下水道に配置した仲間に指示を出す。
彼女は勝利を確信した────。
人の行動、思考はすべて計算の中に収められると信じていた。
幼いころから天才と謳われ、周囲の期待を一身に背負ってきたエレンドラは、その才能でハイロック屈指の魔術結社の代表にまで登り詰めた。
彼女の中に疑念はなかった──すべては予測可能で、理にかなった道筋があるはずだと。
「っりゃああーーっ!!!!」
バキッッ!!!
「がっ・・・あァ!?」
ドサッ・・・
「フー・・・」
「覚えとけよ、ネズミも追い詰められりゃ猫にカミつくこともあるってな・・・」
オピオンは、息を整えながら静かに呟いた。
・
・
・
──陽はすでに地平線の彼方へ消え去り、空は深い紺色に染まっていた。
街灯がちらほらと光を放ち、その冷たい輝きだけが、虚ろな夜の街を切り取るように映し出している。
「はぁーあ・・・死ぬかと思った・・・。」
「オレの人生ベスト3に入るほどの死闘だったな・・・。」
額を流れる冷や汗を拭いながら、疲労でガクガクする膝を何とか立たせる。
耳を澄ませば、先ほどまでの不気味な静寂が嘘のように街の喧噪が戻ってきていた。話し声、行き交う住人たちの足音、そのどれもが日常の音色だった。
エレンドラの人払いの術式は、既に解けているようだった。
オピオンは街の空気に安堵する一方で、嫌な予感を抱いた。
「あ?て事は────」
──ガチャリ。
どこかで聞いたことのある金属音が耳に届く。甲冑が揺れる音。規則正しい足音。それらが街の通りに響き渡る。
「止まれェエーーーッッッ!!!!!」
「あー!!!やっぱこうなんのかよ!!!!」
オピオンは全力で駆け出したが、疲労困憊した体は思うように動かない。
──そしてレックス隊長との”追いかけっこ”は翌朝まで続いた。
・
・
・
「・・・・・・・・・」
「・・・・・ろ、・・・・きろ」
「おい、起きろ。依頼人が来てる」
「ん・・・・・・。」
ぼんやりと返事にならない声を漏らしながら、オピオンは目を細めた。薄暗い部屋の空気が、少しずつ意識を覚醒させる。
「ほら、もう夕方だぞ」
「ジェイ・・・、ちょっとは大仕事を終えた新入りを、労わろうとか思わねーのか・・・・?」
返ってきた言葉は、完全に寝起き特有の間延びした声だった。オピオンは頭をかきながらベッドから身を起こす。
疲労感は拭いきれないものの、今日の自分の成果を誇るように、その足取りにはわずかに余裕があった。
・
・
・
「狐のねぐら」の薄暗い隅の席で、錬金術師のメイリオンは待っていた。
盗賊や犯罪者たちの巣窟にそぐわない彼女がこんな所にいる理由はただひとつ──魔導書の「原典」を手に入れるためだ。
そのメイリオンを前に、オピオンは目をこすりながら重そうな魔導書をテーブルに放り投げるように置いた。
「あらぁ、仕事が早くて助かるわぁ」
メイリオンはその魔導書をうっとりと眺め、満足そうな笑みを浮かべた。
「これで依頼されていた精力剤が作れるわぁ」
「え」
「せ、精力剤・・・!?」
「ええ、とある貴族の方に頼まれてねぇ。権力やお金は手に入れても、身体がついてこないんじゃ意味が無いものねぇ?」
「不老不死の秘薬とか、禁呪とかじゃなくて……精力剤?」
メイリオンはくすくすと笑いながら話を続ける。
「この本の面白いところはねぇ、読む者の力量で引き出せる情報が変わるてところなのよぉ。力が及ばない人にはダミーの術式しか見えないようになってるの」
これも魔導書の術式を外部に漏らさないための防衛機構の一つだろうか、不老不死の法を巡り、この原典を狙っていた他の魔術師たちはまんまとこの罠にかかっていたわけだ。
オピオンは、この原典を命がけで奪い合っていた魔術師たちや、エレンドラの顔を思い浮かべ、少し同情した。
単に書かれた知識を隠すだけではなく、むしろその存在を利用して欲望をかき立てる。それは、読む者の力量を試しながら、力なき者をはじき、滅ぼすように仕組まれているかのようだ。
「この『彼岸の果実』っていうのはぁ、元々はむかぁしハイロックにあった王国の王宮錬金術師が編纂した魔導書なのよぉ。その内容を建国神話に沿わせてねぇ?」
「この物語に出てくる三匹の動物・・・、「牛・鷲・獅子」はその王国を象徴する騎士の紋章を表していたのよねぇ。」
「戦乱を鎮めて建国した王は、相当お年を召していたそうよぉ。でも跡取りがどうしても欲しかった。それで、錬金術師が作った霊薬を使って18人も子供を作ったんですってぇ」
「・・・・・・・」
「この物語に登場する老夫婦は王と王妃を表し、そして彼らの息子も王自身をモチーフにしているの、若返った王が自分自身を産み出す・・・、こうやって物語がループするのは王国の 永久 の繁栄を願った錬金術師の意図かもねぇ?」
「魔導書の原典ともなると、その知識を広めるために知恵のある者を誘惑する。なんていうからぁ?」
メイリオンは両手をひらひらさせながら、少女のような無邪気な笑みを浮かべていた。
その声は甘く、どこか揶揄するような響きを含んでいる。
「だからねぇ、同業者や魔術師には頼めない仕事だったのよ。知識の誘惑に負けて横取りされちゃうかもしれないものねぇ?」
「・・・オイちょっとバカにしてねーか?」
「ふふふ、そうじゃないわぁ。ただ、盗賊ギルドさんは仕事が早いし、ルールを守るし、何より──」
メイリオンはオピオンをちらりと見て、わざとらしく意味深な間を作る。
「知恵よりお金の方が大事でしょう?」
「ふんふーん♪」
ゴールドの詰まった袋を渡し、ご機嫌な様子で鼻歌を歌いながら、メイリオンは「狐のねぐら」を後にした。
「ま、まあ!内容はともかく「魔導書の原典」をあの帝国図書館から盗み出すなんてすごい事じゃないか・・・!」
額を抑えるオピオンを慰めるように、ジェイが声を掛けた。
「グッ・・・クク・・・」
「・・・・アッハッハッハ!!!」
「・・・??」
「まー、盗んだ宝の価値だけで盗賊の価値が決まるわけじゃねーからな」
その言葉はまるで何か大きな思いを吐き出した後のように、やけに静かで確信に満ちていた。
そして、オピオンは言葉を残して、静かに去っていった。その背中が、少しだけ大きく見える気がした。
「・・・・・・フッ」
その後ろ姿を見送りながら、ジェイはわずかに微笑んだ。
「いや・・・何か忘れているような気が・・・。」
・
・
・
■ 帝都獄舎
つづく・・・?